アコーディオン

アコーディオンへの思い

それは僕の人生をかえてくれた。
今、使っているのはアコーディオンを始めてから5台目のアコーディオンだ。

初めのころはトンボの小さいアコーディオンだった。
赤色で、レンタルして借りていた。

アコーディオンとの出会いは住んでいた町にアコーディオンを教えてくれる人がいたからだ。
もし、そこで出会わなかったら、今頃は普通のサラリーマンをしてることだろう。

始めたきっかけは?と聴かれることがある。

小学3年生だった頃、学校の教室で先生から教室でアコーディオンの講習会のチラシが配られた。
それまでアコーディオンの存在じたい知らなかったと思うが、目立ちたかったのか、理由はあまり憶えていないが、
興味を持っていたのは確かだ。友だちと行く約束をしてその会場に行った。(友だちは来なかったが・・)

親にアコーディオンをやりたいというのを言った。

それからレッスンに通うようになったが、最初の頃にいた生徒は時が過ぎるにつれ、やめていった。
僕は発表会は大嫌いだったけど、やめようと思ったことはなかった。

もちろん、練習をほとんどしない時もあった。レッスンに行き、そこで練習していた。
親には何回か「やめなさい」言われたこともあったが、なんとなく続けていた。
きっと、アコーディオンの先生が厳しい人でなかったのも理由の一つだろう。
あとは、昔ハーモニカのコンサートに出て、その時にもらった図書券。子供心をくすぐられた。

中学に入学して野球部に入った。その頃の夢はプロ野球選手。頭を丸坊主にしていた。

アコーディオンなんて恥ずかしくて、誰にも言えなかった。

実際、今でも僕がアコーディオンを弾いている事を知らない人が多いかもしれない。
思春期まっさかり。アコーディオン以外のことに興味を持ちはじめていた。

部活で、夜まで野球ボールを追い掛けていたので、練習する時間はほとんどなかった。
発表会もそれを理由によくキャンセルしていた。

高校に進学した時、アコーディオンのことは誰にも言うつもりはなかった。
でも、初めての音楽の時間に先生に“アコーディオンやってるやつは誰や?”とクラスで言われた。
死ぬ程恥ずかしかった。
アコーディオンがそれ程弾けるわけでもないのに・・・・
でも、その頃から、アコーディオンに対するネガティヴな感情は薄れてきていた。
ただ、進学校だったため、宿題が山のようにでて、練習する時間は限られていた。

高校2年生の誕生日、父親が小林靖宏のCDを買ってきた。
その音楽は、自分の中でいままであったアコーディオンに対する古臭い思いを消し去った。
新鮮な音をいつも聴いていた。
その時はじめて、アコーディオンっていいじゃん!と思った。

その頃から、少しずつ彼の曲を耳コピして弾いていた。
(ただ、その時は速いパッセージとか全然弾けなかったけど・・)

彼が、音楽の中で一番だと思いはじめていた。
少し前だがTV番組“タモリの音楽は世界だ”の中で、小林さんがアコーディオンを弾いていたのを憶えていた。
正直いって、自分の先生のほうが上手だと思っていた。左手を使っていなかったからというのが理由だったが・・・
彼を知ってから、そのことがすごく恥ずかしかった。
小林さんの曲は一台のアコーディオンでは無理があるし、バンドでこその魅力だと思う。

高校のころは兄の影響で洋楽をよく聴いていた。ハードロックなど。
小林さんの音楽をよく聞きはじめたの高2から高3の頃だった。
始めて彼のライブに行ったのは“テクノキャバレー”というテクノのアルバムを出した時。前半はDATでテクノだった。
感想は・・・というと疲れた。
後半はバンドと一緒にお馴染みのレパートリーを弾いた。

ただ、その頃から、小林靖宏さんに対する思いは少し変わってきた。

高校3年のころ、真剣に将来プロのアコーディオンニストになりたいと思いはじめた。
きっかけは知人のイタリア留学。
彼は僕の親友で、アコーディオンの先生の子供だった。

彼の将来の夢を聴いた時、はじめて「そういう道」があることを知った。
大学入試の時には親にそのことを言った。もちろん反対された。

でも、今までやってきた事、そしてこれから自分がやりたい事を、親に言った。

その頃は、賛成してくれない両親に悩んだ。

将来・・・アコーディオンで飯を食べていく。
もし成功しなかたら道で弾いているかも、そんな不安定な状態でもあった。
とりあえず、親との話で大学に進学した。大学に入り、サークルに入り、酒とマージャンを勉強した。

大学1年のとき、大阪でコンテストがあった。
それに向けて、その頃はかなり練習した。でも、結果は全然だった。

一時期、アコーディオンから遠ざかった事があった。
ハードロックバンドにキーボードとして加わった。
あまり、そのころはロックにたいしてあまり興味がなくなっていた。

ただ、大学2年の冬から、本格的に留学に向けて動きだした。
夏は2ヶ月ほど大阪に週1でレッスンに通った。
それまで、音楽について全然知らなかった。
秋頃からピアノを習いはじめた。それが音楽を勉強したいということに拍車をかけた。
音楽理論なども自分で勉強し始めた。

その夏にリーシャル・ガリアノとの出会いが神戸であった。(★)

大学2年生が終わり、20才の時にイタリアに留学した。
当初は1年だけ、休学の予定で行った。
でも、イタリアに行ってもっと勉強したいと思ったし、1年だけではもったいないと思ったので大学は退学した。
イタリアの時、一緒に生活していた友だちには、音楽をやるうえでとても影響をうけた。

アコーディオン。
なんだかんだいって、生活の中心にあるのはいつもアコーディオンだ。
彼が僕の人生を変えてくれた。
それにはとても感謝している。
最近磨いてないから、また綺麗にしとかないとね。。

こうして、アコーディオンの事を振返ると、やっぱり自分の人生だなと思う。
ダニエル・ミルから:“アコーディオンを彼女のように思って接しなさい”

リルケから:“もし自分から詩を書くことを(音楽をやること、アコーディオンを弾くこと)をやめれば死ねるか?と自分に問いただしなさい”

自分はアコーディオンを弾いている。
今は音楽を勉強している。

アコーディオンが中心なのは当たり前だが、アコーディオンだったら、何でも好きという時期は既に去った。
いくらアコーディオンを弾いている人がいても、つまらないのはつまらないし、昔にくらべて耳も肥えてきた。
僕が求めていく音楽は聴いていて鳥肌がたつ音楽だ。一緒に合わせて上手くあったときなど。
一番わかりやすいのはピアソラの天使のミロンガをきけばその感覚はやってくると思う。

それが、音楽をやっていく意味みたいなものだ。

去年亡くなったミッシェル・ぺトルチア-ニが言った言葉。“音楽そのものが人生だよ”

アコーディオン への2件のコメント

  1. ピンバック: 2012 3月 01

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