小さな巨人

前から、ずっとほしかったけど、
なかなか高くて買えないCDがあった。

ミッシェル ぺトルッチアーニ。
彼が亡くなったという、ニュースを見たのは、イタリアにいた時だった。

ニュースで彼の名前がでた時に、友だちと“もしかして、死んだりして”と冗談を言っていて、僕はすぐ眠たいので寝た。

次の日の朝。彼が死んだということを知った。
信じられなかった。
その何週間か前のクリスマスイヴにヴァチカンで弾いているのを見たばかりだったから。

その時、弾いている姿を初めてみた。
子供の背丈もない障害者。
彼の音楽との出会いはイタリア旅行中に買ったCDだった。
それはソロのライブアルバムだった。
家に帰り、はじめて聴く彼の演奏は、彼の見かけからは想像できないぐらい素晴らしい演奏だった。
何回もくり返して、聴いた。
今度、近くの街にコンサートに来るというの情報があった頃、彼は死んだ。

ようやく買った3枚組のCDには、ブックレットがついていた。

それには彼の一生が載っていた。

18の時にアメリカに渡ったこと。
兄弟はベースを弾いてること。
いつも自分の中には音楽が流れてること。
そして、自分は他人よりも長く生きられないこと。
彼が一生やってきたこと。それは音楽を演奏すること。

彼は死ぬ何日か前まで演奏していた。
彼の死は突然ではあるが、いつ死んでもおかしくない状態だったらしい。
彼がみんなに勇気を与えたのは確かだ。
障害があったって、音楽はできる。

彼にできて、なんで俺できない。
生きること。

彼の死によって、再び考えさせられた。
生きることって、今の世の中、簡単だよね。
働いて、飯を食べたら、生きれる。

ただ、彼のようにいつ死んでもおかしくないような
状態だったら。生きること。
死というのはいつかやってくること。
明日、自分が死ぬというのは想像できない。

5年後はジャズをマスターして、世界中のジャズマンと共演したりとか、そういう目標もある。
今のとこ、自分が死ぬというのは考えられない。

50歳すぎたら、思うようになるのかも、しれない。
キースジャレットが”人の一生とバラの一生は似たようなものだ”とCDに書いてあった。

そこで“人は死というのを考えなければならない”。

たまに、こう思う時がある。
“こんだけ練習したって死んだら同じだ”。
“じゃー、今何のために練習してるんだろう。
いつかは死ぬのに。”

生きるということ。
それは単に有名になって、金持ちになって、いい外車にのって、3つ星レストランに行く。

そういうのは、意味がないこと。
ほんとに自分がやりたいことを精一杯やり、どうでもいい冗談で笑える友だちがいて、家族がやさしくみまもってくれて、
トータル的に人生悔いないように過ごす。

今の世の中、生きるのは簡単だ。今、ほんとに恐いこと。
それは、日本に帰って仕事をしだした時、

自分の持ってるものが、消えてしまいそうで恐い。
それは仕事だからしょうがないのか?

今、勉強してること。音楽を学こと。音楽を演奏すること。

今の、自分には、それが全てだと思う。
なぜなら、それが生きることだから。

自分に限界を感じた時、彼の音楽を聴くと勇気がわいてくる。

俺はこんなもんじゃない。

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