なぜ“シルクロード”なのか? それは、最近の傾向で作った曲のタイトルによる。
シルクロード。絹の道。
日本を出てヨーロッパに来てもう四年が終わろうとしている。
その中でよく感じることは、日本をでて初めて日本の文化等に興味がでたこと。
日本にいた時は、灯台もと暗しで、実際に伝統音楽や舞踏などにふれる機会はなかった。
身近にあるように思われて、実は社会と密接に結びついていなかったように思われる。
先日、たまたま友人が日本をテーマにしたコンサートの企画に参加していて、行ってきた。
その時聴いた琴は、とても印象深かった。それはまさに和の音楽だった。
日本にいたら、多分そういう場には自ら進んで行かなかったと思う。
日本を出て、はじめて自分は日本人であると確信した。
そのことはいったいどういうことか。
一つはイタリアの田舎の警察で滞在許可証の申請の時、警察に犬並の扱いをされたこと。
おもいきりネガティヴであるが、東洋人であるために最初から疑われてしまうなど。
だけど、自分は東洋人であり、日本人であることを誇りに思うし、実際日本人で良かったとしきりに思う。
ポシティヴに思うことは、ヨーロッパでは素直に自分の国の音楽や、アジアの音楽に目を向けれること。
というのも、自分は東洋人であり日本人である。
それは特殊であり、こちらでやっていくにはとてもプラスになる。
でも、伝統音楽や伝統楽器を用いることを敬遠し、また軽蔑に近い目で見る人もいるだろう。
“伝統楽器を用いただけでくだらない”とかそういう見方をする日本人だっているはずだと思う。
ただ、そのような人に限って、何もやらずに当たり前のことを繰り替えしているようにも思える。
クラシック音楽と呼ばれる音楽について、武満徹も著書の中で述べていたが、
昔の音楽(1800年代、1900年代の音楽)を常に演奏している。
というのも聴衆側が現代音楽にあまり関心が薄いことによるみたいだ。
もちろん聴衆が来ないと話にならないわけで、プログラムもそれに応じている。
そのことにこれからの現代音楽の行方を心配もしてるみたいだった。
絵画や彫刻などの芸術にくらべて、今でも100年、200年前の作品を中心に演奏しているのは、
それだけ今のクラシック音楽というのがマンネリズムにおちいっているのだろう。
これは、どのジャンルの音楽にも言えると思う。
ジャズにしたって、ビバップというジャンルはもう過去かも知れないし、ジャズクラシックと言われてる。
もちろん、現在のジャズの基本であるということは言うまでもない。
でも、クラシックもジャズにも同じことが言えると思う。
武満徹は、1970年代で芸術のどのジャンルもいきずまっていて、あとの80年代,90年代は70年代までのくり返しにしか過ぎず、
基本的には全然進歩してないと述べている。
それには確かに納得させられること多々ある。
話は少しそれてしまったが、今感じていること。
それは新しい事を作るというよりは、むしろ自分のルーツに帰り、その周辺から試したいことがある。
それを、これからの活動の一つとしていきたい。
そういう背景で“シルクロード”というテーマに取り組んでいる。
1500年前に東西の交流があった道。それは、現在にもつながっているように思えるから。