東北レポート(一日目:東京-仙台編)

 パリに帰ってきて1週間経ちました。時差ぼけもだいぶ治ってきたのですが、まだまだ朝が早い感じで、夜になるとかなり眠い日々が続いております。親知らずを抜いて、お腹をくだしてしまうという、思いもよらない事態のまま飛行機で帰仏となるとは。。。抗生物質を飲むときは、腸整剤を合わせて飲まないといけないというのを、今回のことで学んだ33歳の春でした。
 遅くなりました東北レポート、思い出しながら少しづつ書いていけれたらと思います。
まず、今回本当に東北に行ってよかったと、心から思いました。震災一ヶ月後の時期に、現地に入って支援コンサートをして回るということ、マギーちゃんを始め、彼女の友達,知人のサポートがなかったら、実現できなかったことと思います。そのことをここに今一度感謝いたします。今回現地で出会った人々とこれからも交流を続けて、日本に帰る時には必ず足を運べれたらと思ってます。このレポートは、記録という形で読んで頂けたら幸いです。
 一日目:2011年4月12日(火)の朝,あまりにも多くの荷物だったので、兄に新宿のバス乗り場まで送ってもらう。(荷物一覧-被災地の子供の為のお絵描きセット(75人分)が入った4箱の段ボール、アコーディオン、ミニ音響機材、バックパックなどなど)8:00発の高速バスに搭乗。その時に、運転手さんに事情(支援物資etc…)を説明したら、快く承知してくれて、運転手さんの専用収納スペースに荷物を載っけてくれました。荷物が多すぎるということで、お絵描きセットなど持っていけないのでは、と心配してたので、運転手さんに大感謝です。
 高速道路は福島県に入ったあたりから、道がでこぼこしてきて、後方の席だったので、かなり揺れました。地震の影響で、家の瓦が落ちて、ビニールシートをかけてる家が目立つようになったのも、このあたりからでしょうか。途中、ラブホテルらしき建物の一部屋が、崖の方に少し落ちて傾いておりました。今回の地震の大きさを目の当たりにした最初の映像でした。
 仙台に着いたのは13時30くらい。今回の東北ツアーずっとサポートしてくれた、マギーちゃんが仙台駅まで迎えに来てくれました。久々の再会でした。震災直後にマギーちゃんからのメールの中で、”笑顔で会いましょう”という言葉に、逆に励まされたことを憶えています。笑顔で再会。本当にその時、会えて嬉しかったです。あまりにも多くの荷物にびっくりされつつも、車に詰め込んで、仙台でのライブ会場、SENDAI KOFFEEさんへ。
 オーナーの田村さんがとっても親切に迎えてくれて、ご挨拶。会場を見せてもらって、演奏場所,音響などのことをプチミーティングをして、マギーちゃんとカフェタイム。チャイを注文したら、サービスで奥様特製のブラウニーを頂きました。とっても美味しかったです。その直後くらいに、地震。わっさわっさ揺れました。基本的に、地震が本当に少ない岡山生まれ、岡山育ち、地震の全くないパリ在住ということで、慣れてない分、地震は本当に怖かったです。今回の日本滞在中、東京に2週間ほどいたのですが、非常に地震に敏感になっておりまして、両親とそば屋にいた時、”おっ、地震。東京は多いなー”と言ったあと、バスの音が聞こえたりとか。ホテルのバスルームで、ユカの弾力で揺れてるような錯覚になったり。実際、パリに帰ってくるまで、地震酔いみたいなのがあったように思います。仙台に着くや否や、地震の洗礼をうけて、内心かなりびびっておりました。
 ホテルのチェックインが16時からだったので、ホテルへ。東北行きを決めてから、ホテルを探し始めたのだけど、なかなか予約が取れなくて、やっと取れたのがカプセルホテル。しかも男性専用。
人生初のカプセルホテルということで、非常に不安でございました。アコーディオンはマギーちゃんの車に詰んでもらうことにして、ホテルのロッカーにバックパックを無理矢理詰め込む。寝るスペースはたたみ一畳、カーテンで仕切られてるのみでした。自分の中でのカプセルホテルのイメージは、カチッと扉がしまるのをイメージ(カプセルだけに)で,外界の音が少しは遮られるものだと思っておりました。その夜、事件はおこったのでした。
 朝が早かった(6時起き)というのもあって、ホテルで少し休憩。夕方に迎えに来てくれて、自分のリクエストに答えてくれて、某牛タンチェーン店本店へ。マギーちゃんと彼女の友達と3年ぶりになる牛タンを食しました。とっても美味しくて楽しい時間だったのですが、食べ終わって、さらに会話が盛り上がってるところで、タイムアウト。
 ホテルに送ってくれて、カプセルルームに入るや否や、耳栓が100円で売ってる意味を一瞬で理解しました。無数のいびきがこだましてて、カエルの合唱ならぬ、いびきの大合唱でした。一人部屋から50人部屋にいきなり移ったのですから、中々眠れなくて、やむなく耳栓を購入。耳栓をしたら、今度は自分の鼓動が耳につき、やっと寝れたのは明け方だったように思います。
 次の日から始まる支援コンサートのことで、”自分の音楽が被災者の方々に受け入れられるのだろうか…”という不安も感じてました。彼らの為に最高の演奏ができるように、とりあえず、寝ようということで、目を閉じたのでした。
(石巻編につづく)
写真:広瀬川の夕日

 

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